2007年06月26日

6/26 八原高級参謀、米軍捕虜となる

 「首里放棄にあたって最も苦慮したのは、傷者の処置だった。5月末、全戦線の負傷者総数は、1万に達したであろう。南部・島尻の新陣地に後送しても、これを収容する洞窟がない。長参謀長の指示は
『各々日本軍人として恥ずかしからざるごとく善処すべし』
であった。事実、大多数の傷者は平素教えられたように『天皇陛下万歳』を三唱し、手榴弾、急造爆雷、あるいは青酸カリなどの薬品をもって自決した。しかし、皆があっさり自決したわけではない。精神力旺盛な者は驚嘆すべき力を発揮し、自力で新陣地に後退した。ある傷者のごときは両足の重傷に屈せず、十余キロのどろんこの道を座行した」
(米軍捕虜となった八原高級参謀の告白)
 
   



Posted by We are OKINAWAN-KOBE at 06:00│Comments(0)
 
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