We are OKINAWAN-KOBE
稲垣 暁 神戸市灘区生まれ。沖縄大学地域研究所特別研究員/非常勤講師。まちづくり実践演習を指導。自主ゼミ「現場学」主宰。沖縄ソーシャルビジネス研究所、「遺骨収集で雇用支援を」NPO連絡協議会事務局、社会福祉士事務所「いっぽいっぽ」。
「沖縄の島守」は、新聞人として大先輩である元読売新聞大阪本社社会部記者だった田村洋三さんの著(2003年中央公論新社刊)。 沖縄戦を前に前任者が本土に戻ってしまった(逃亡との説が有力)ため、内務省の人選により死を覚悟して沖縄に赴任した神戸市出身で戦前最後の沖縄県知事・島田叡氏や栃木県出身の県庁警察部長・荒井退造氏、県庁職員など当時の行政マンの、地獄の淵での苦闘と殉職までを綴ったヒューマンルポルタージュ。
過去、ぼう大な沖縄戦資料が記録されているが、県庁職員という戦時行政に奔走した民間人に絞ったものや、沖縄戦で沖縄に身を捧げ殉職した県外出身の民間人についてここまでまとめたものは見当たらない。執筆時66歳ながら、往事の魂をいかんなく発揮して丹念に取材を重ねて書かれた、後世が読み継ぐべき貴重な沖縄戦記録集。
【島田叡】
戦前最後の沖縄県知事。神戸市須磨区出身。神戸二中(現・兵庫高校)、三高、東大卒。大阪府総務部長時に内務省から打診を受ける。「自分が行かなければ、誰かが行って死ななければならない」と、自らの判断で妻子を残し、沖縄に。戦中戦後、沖縄で慕われた数少ない本土出身者。
島田知事は、
・住民の疎開と危険回避
・危険を犯して自らが海を渡った食糧空輸
・軍司令部との交渉
・壕の中で行った行政
・酒や歌舞の許可
など、死を覚悟させられた県民への仁政と人間味あふれる行動のすえ、沖縄戦終結ごろに摩文仁の丘で殉職した。草木1本にまで県土に責任を持った最後の沖縄県知事として、戦後の沖縄県民に偲ばれた。
現在、平和祈念公園の一角「島守の塔」に、島田叡と、島田と行動を共にして殉職した荒井退造沖縄県警察部長が顕彰されている。
2003年および2006年に首里ー糸満ー摩文仁ー具志頭の県庁南部落ちルートを歩いた時のレポートも入れる。
※とりあえず2007/5/15「本土復帰35年」から記録を開始する。
参考文献は、田村洋三「沖縄の島守」(中央公論新社)、浦崎純「消えた沖縄県」(沖縄時事出版社=廃刊)、同「沖縄の玉砕」、山川泰邦「秘録沖縄戦記」(読売新聞社=最近復刻)、その他証言など。