2007年05月16日

5/中旬 真地の県庁壕での島田知事

 「真夜中、ふと目覚めると、国民服姿の知事さんが便所に行かれるのか、薄暗がりの狭い通路を歩いておられた。それが、壁にへばりついて、そろそろとよろけるような歩きぶりなんです。どうされたのか、と目を凝らすと、何と、寝ている警官たちの足をまたがないように、避けて歩いておられるんですよ。壕内はすし詰めですから、2段ベットでは皆、通路へ直角に足を伸ばして寝ていました。ベッドの奥行きがないから、下段で寝ている人の足はどうしても通路にはみ出す。それをまたがず、避けて通っておられた。だれも見ていないこの夜中に、出来ないことだなあ、偉い人だなあ、とほんと感心しました」



 「戦局の悪化に伴って、どんな人でも気が荒び、投げやりになり、不親切になる傾向があった。長官は終始変わらなかったばかりでなく、高い人格から自然にわき出る行為は後光がさしている様に感じた。(中略)或る日、1人の娘が両手にバケツを提げて奥の方指して歩いていると、長官がお見えになった。娘が道をゆづるべく引き返そうとすると、それに気がついた長官は『重たいだろう。さあ通りなさい』と言って自ら引き返され、娘に道をゆづられた」

(田村洋三「沖縄の島守」から輸送課警部補・西平守盛氏)





5/中旬 真地の県庁壕での島田知事
識名霊園墓地に残る新壕の入口(繁多川4丁目)  



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