2007年05月23日

5/23 志多伯の野戦重砲兵隊が県庁壕との交換を申し入れ

 東風平村志多伯に展開していた野戦重砲兵第1連帯の将校が県庁・警察部壕を訪れ、「作戦上、陣地を前進させたいので、食糧共々野重一の壕と交換してくれ」と申し入れ。

 島田、野重一へ承諾の返事を出し、荒井は長堂の後方挺身隊本部へ伝令を飛ばす。「首里戦線急迫により、挺身隊本部は高嶺村与座方面へ移動せよ」。



 荒井警察部長、先に大石橋で敵の集中砲火にあい、豊見城村への脱出に失敗した山里和枝ら女性群20数人を再度、出発させる。篤志看護婦として豊見城村の海軍沖根に身分を引き継がれた十余人は、予想を絶する厳しい現実にたじろぐ。



繁多川の県庁・警察部壕の地点=http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=26%2F12%2F7.281&lon=127%2F43%2F11.763&layer=0&ac=47201&p=%BB%E5%CB%FE%BB%D4%C2%E7%CE%A4&mode=map&size=l&type=static&pointer=on&sc=4


5/23 志多伯の野戦重砲兵隊が県庁壕との交換を申し入れ

5/23 志多伯の野戦重砲兵隊が県庁壕との交換を申し入れ
識名霊園にある県庁・警察部壕入口




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