2007年06月13日

このころ、轟壕に陸軍衛生隊がなだれ込み、狼藉行為

 轟壕に、豊見城村に居た那覇署も、高嶺村に居た糸満署も、申し合わせたように移って来たが、それを追うように避難民の出入りも激しくなった。いきおい敵の偵察機が注目するようになり、海上の艦艇から砲撃されるようになって、壕内外で死傷者が出始めた。食糧難の避難民は、夜になると壕外の畑へイモやサトウキビを取りに出掛けたが、これも狙われた。

 そんなある日、陸軍の衛生隊の1団14、5人がなだれ込んだ。入って来るなり傍若無人の振る舞いで、包帯交換を頼みに来た他部隊の負傷兵を追い返す冷淡さとは裏腹に、看護婦とは思えない連れの女性には、やけに親切だった。その様子を苦々しげに見ていた島田知事は、吸殻入れにしていた空缶をキセルで不機嫌そうに叩いていたという。

 「軍医殿」と呼ばれた准尉は「戦場に役人や警察官なんか要らない。この壕は野戦病院として使うから立ち退け」と言い放った。隈崎が「我々は軍司令部『与座岳以南で県民指導に当たれ』との指示を受け、ここに居る。軍司令部の司令書があれば、いつでも壕を出る」と反撃すると効果てき面。翌朝、目が覚めた時は、この一団は姿を消していた。


轟壕の位置
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=26.12588889&lon=127.66694444&layer=1&sc=5&mode=map&size=s&type=&RD.x=2&RD.y=7


このころ、轟壕に陸軍衛生隊がなだれ込み、狼藉行為

このころ、轟壕に陸軍衛生隊がなだれ込み、狼藉行為
轟壕の入口



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