2007年06月16日

6/16朝 知事、司令部壕着。軍医部壕に入る

 「島田さんに初めてお会いしたのは昭和20年の2月上旬、着任されてまだ1週間くらいの時でしたが、今度の知事は死ぬ覚悟で来た、大した男だ、といううわさが軍司令部内にもとどろいていましてね。会った第1印象も、その通りでした。4カ月ぶりに軍医部の壕で再会した時、司令部壕の方が広くて堅固なのに、なぜ狭くて貧弱なこの壕に来られたのかな、と不思議に思いましてね、私、島田さんに直接、聞いたんです。すると『牛島司令官が、こちらへ行け、とおっしゃったので参りました』と言われた。それ以上の理由はご自身では話されなかったが、戦後、私は生還された高級参謀の八原さんを訪ねた時、改めて聞きました。それによると、島田さんは司令部壕に牛島司令官と長参謀長を訪ねた時、『最後の行動を共にさせていただきたいので、この壕に居らせてほしい』と頼まれたそうです。ところが、司令官は『自決するのは我々だけでよろしい。知事は行政官で、戦闘員ではないのだから、ここで死ぬ必要はありません』と言われた。司令官としては島田さんに軍司令部壕に居てもらうと、危機が迫った時、自決しかねないと思われたようで、軍医部の壕に入るよう言われたのです」

(軍医部壕に居た大塚康之・薬剤中尉述懐)


 



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